絵図に「骨寺跡」「骨寺堂跡」という文字と、建物の礎石のような図像が描かれています。かつてここに骨寺という寺があって、絵図が描かれた鎌倉時代の後期には廃寺になっていたことが分かります。今はその跡も確認できませんが、その寺の名前が村の由来になったと考えられます。
骨寺とは珍しい名前ですが、亡くなった人の骨の一部を特定の聖地に納める風習(分骨)があります。この骨寺はそのための場だったのではないでしょうか。
鎌倉時代の『撰集抄』という説話集に、平泉郡にいた一人の娘が、天井裏の髑髏から法華経の読み方を習い、その髑髏を逆柴山に葬ったという話があります。その髑髏は、比叡山の高僧第18代座主の慈恵大師良源の髑髏で、葬った場所が慈恵塚だと本寺では伝えられています。このことが、骨寺村という名前の由来であるともいわれています。